結婚したのは、かれこれ16年前の25歳のとき
大手建設会社F社に勤めており、現場監督をしていました。
当時は、まだ、バブル全盛後であり、25歳の私でも1回のボーナスが正直、
60万円ほどありました。当然年2回ありました。
このときは、全然お金に苦労した経験がなかったですね~。
多分、私だけではないと思う。
27歳のとき、仕事上、測量図を見ることが多く、土地家屋調査士さんと
打ち合わせをする機会も増え、測量に魅力を感じるようになり、
28歳にして、測量設計事務所に転職しました。そこがまた、怠慢な社長で、
私は、測量の勉強をするべく再就職したようなもので、給料は、前の会社の半分に
落ち込みました。(測量会社の給料はホントに安いです)
当時は、嫁さんも若かったし、それほどお金にも困らなかったです。
調査士さんになりたいがために、まず調査士試験の実技試験免除できる資格が必要で
測量士補試験を受験することに・・・1回目、2回目さすがにナメていました。
問題数28問(現在も?)中60%くらいで合格と言われていましたが、
数学的要素がかなりあり、生半可な勉強では、合格は無理です。
そして、3回目(3年目の挑戦)で無事ぎりぎり合格でした。
合格証は、A4で、ワープロ打ちで、国土地理院長のはんこだけ(安!)
すぐに国土地理院に登録申請をしましたが、同じくA4で、ワープロ打ちの登録書でした (汗)
その後、4年、5年と働いているうちに、社長の仕事に対する不満や怒りみたいなものが出始めて
退職、それから、ハローワークへ行き調査士事務所の補助者を募集していて、即面接!
再就職できたのもつかの間、親父がガンで入院、当時経営していた人材派遣の会社を
手伝うことにした。この時期、世間の派遣会社は、ぼろ儲けに近く、やりたい放題、
派遣社員をこきつかいしていた。親父は他界し、私が継承することになった。
事務員もなし親父が完全一人で経営していた(決算は税理士には頼んでいた)
会社は外国人が多く、南米出身者が多かったために会話が困難を生じた。
私は、送迎バスを運転して派遣している各工場へと行く。
徐々に調査士への願望が薄れて行き、外国への願望が強くなってきた。
車を運転してると、道路で測量している人たちを見ては、「後で、事務所に帰りコンピュータに出力
してプロットして、1つずつ確認するんやな~!大変な仕事やな!」
なんて思ったりするぐらい、人間の気持ちは変わるもんだ!と・・・
そして外国人と会話したい為に今度は、スペイン語を独学で勉強するのである。
ある親しいボリビア人と一緒に仕事を頼んだり、人を探しに行ったりと
今までにない充実感がありある程度、儲かったりした。
しばらくは何も不自由なく、工場も繁忙期で、
よかったのだが・・・あの米国のサブプライムローンの問題がなければ・・・
それから半年後に一気に会社が倒産に追い込まれた。
なにも残していくものが無くなってしまった。
私は、今日までの人生は終わりにして、
これからの人生をこのブログで綴りたいと思います。
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元気の元!
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